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Naomiの部屋

 

ガンゴトリへの旅  2007年9月〜10月


今回のインドはいろいろなことが重なって行くことになりました。
まず今年の5月にシバナンダ・アシュラムのスワミが講話の手伝いをすることになりました。
去年も講話を聴いたのですが、瞑想することですべてのもの、他の惑星ともつながることができる、
というような話をされて、ニューエイジと同じではないか!(ニューエイジ思想の多くはインド哲学から
来ていると知らなかったので)とびっくりしたくらいで、ヨギなのに楽しそうなおじさんだな、という以外
そんなに印象には残らなかったのが、今年の話はとても印象的で、しかもその講話があった
次の日は体全身が痛くなって寝込むという、よく聞く浄化のようなものが起こったのです。

そこで毎年秋におこわなれるそのスワミのヒマラヤツアーに参加することにしました。
なんといっても、いつか行きたいと思っていたガンジス川の源流の聖地、ガンゴトリに行くのです。

デリーにつくとスワミとその弟子が待っていてくれて、ある寺院の中にあるゲストハウスに
連れて行ってくれました。デリーは好きじゃないけど、そこは住宅街の中のアシュラムの
ような感じで静かで安全な場所でした。

でもここはインド。高級ホテル出ない限り、きれいなはずはなく、壁には穴があいていてアリが列を作り、
ベッドの上にもうろうろしています。
アニヤは「アリ、アリ!」とうれしそうです。まだ2歳のアニヤは
きれいも汚いもなく、
そのまま受け入れられるからうらやましいと言えばうらやましいものです。

 一日、デリーでゆっくりしてからリシケシに移動。
電車でハリドワールまで行くと、ここでもスワミの信者が待っていてくれました。

数年前は空港について近づいてくるタクシーの運転手の中で少しでも正直そうなのを
探して、
バスステーションまでなんとかたどり着いてバスに飛び乗るなんていうことが
出来たけど、
今はアニヤがいるのであまりリスクを負いたくありません。

しかもバスは舗装されてない道をガンガン飛ばすから、よく飛び跳ねて天井に
頭をぶつけたことも
よくあり、そんなのが6時間も続くのだから、アニヤには
ちょっと気の毒だったはずです。
人生が進むと、旅のスタイルも変わってくるのですね。宿も選ばないといけないし。。。

リシケシは約4年ぶり。
ガンジスは記憶に残っている通り、荘厳かつ優雅。
ああ、やっぱりガンジスを
みる為にきたんだな、と実感しました。
まさに心が躍る、そんな感じでガンガの流れを見ながら、インドでの人生も
何回も
経験してそうだから、ガンガに流されたことも何回もあるんだろうな、と考えていました。
死んだら灰になってここに撒いてもらいたい、と思うのは過去の記憶からでしょうか。

リシケシで3日間のんびりして、ハリドワールでデリーから電車で来た
ほかの参加者17名と合流。
九州、四国、北海道と全国から来ていて、しかもヨガ歴2,30年というベテランの
ヨガの先生も数名いて、ヨガのリトリートとしてはとても質の高い旅のようでした。

私が参加するにあたり、ラムジがベビーシッターを手配してくれていました。
ただ、出発前に数名の人からアニヤがトラブルに巻き込まれる可能性があると言ってきて、
レイからも特にベビーシッターに気をつけるように言われていました。

会ってみると、かなり年配のネパール人の女性で誠実そうな人だった。
子供も孫もいる、という人だったけど、ウッタルカシに着いてからもアニヤは全く懐くことなく、
他の人を頼むことになりました。
ガンゴトリに行く前日にきた若いインド人の女の子は明るそうな女の子だったけど、
アニヤはやっぱり懐かず、その子に抱かれるたびに泣き出した。

ヨガはアニヤも一緒に参加することができたけど、講話の時間はベビーシッターが
外に連れて行くことになった。彼女は英語が全く出来ず、辞書で拾い読みしながら
ヒンディー語で予定を伝えも全く上手く行かず、休憩時間にさっとアニヤを取り上げ
どこかに行ってしまい、セミナーが始まると泣いているアニヤを戻しにくるようなこと
になってしまった。
これがアニヤにかなり負担をかけ、レイや私の母にも助けを求めていたらしく、
リシケシに戻って読んだレイのメールにはガンゴトリにいた数日間、アニヤが
苦しんでいる姿を何度も見た、と書いてあった。母もアニヤが泣いている夢を見たという。
リシケシに戻って来て、もっといいやり方があったのかもしれないと少し反省。


心配していた体調に関しては、アニヤは全然問題なく、9時間バスに揺られても、
ガンゴトリの寒さの中でも、元気にはしゃいでいます。

ガンゴトリは記憶の向こうでずっとつながっていた、そんな感じのする場所。
ガンゴトリでガンガの流れを見ていたら、涙が流れてきて、そのまま立ち尽くしてしまった。
しばらくしてふっと後ろをみると、スワミが立っていて、
「分かるよ。魂が求めているものだったんだね。」と言われました。

優しさと厳しさの両方を備えた、ガンジス最後の聖地。
ここから16km上、2日間ほど登れば、源流のゴーモクにつけるけど、
アニヤがもう少し大きくなるまで待とう思います。

今回の旅では多くのヨギに会いました。
「聖人に出会ってその波動を伝えてもらう。」というようなことは考えても
いませんでしたが、
実際に会ってみるとその人それぞれの役目を果たし
ていることがよく分かりました。

ガンゴトリに何十年も住む、ある聖者に会いに行った時、
「私は本物のヨギだ。」という言葉から始まりました。
というか、私がすこし遅く到着をして、そこから急遽通訳を頼まれたので
その言葉から入ったので「随分と自信があるヨギだな・・」と
少し抵抗を感じてしまいましたが、後から納得することになりました。
 
そのヨギは続けて「ヨガとは自分の行っていることを極めて神に
到達することである。私はヨガを実践する、登山者であり、写真家である。
自分の行動に集中して実践をしていくうちに神を自分の手に宿すことになる。」
というようなことを言っていました。
実際のところ、これを聞いてもあまりピンとこなかったのですが、そのスワミが
ヒマラヤで写した写真集を見て、その言葉を完全に理解することになりました。
一枚一枚の写真がすごいエネルギーを発していて、たぶん、時や空間を超えて、
その場所や人物がもつ波動をそのまま保っている感じなのです。
まさに神業と言える写真だったので、これが神を宿した手が撮った写真だ、
ということが理解できたのです。
訓練することによって、写真を撮るという行動を通してでも神を表現できる人が
いるということを体感できた、素晴らしい瞬間でした。
 
そもそも、このリトリートに参加する理由となったラムジというスワミはチダナンダジという
アシュラムの総長に秘書として従事していた方で
従者として若い頃からチダナンダジに
ついて世界を回り、世話をしていたので
ヨガの修行をする時間がほとんどなかったそうです。
それでも
師に従っていた40年間の間に素晴らしい人々と知り合い、そして秘書としての
気配りを鍛えられたそうです。
だからそのスワミといると、誰もがとても大切にされているような気になります。
それもそれである種のヨガなのでしょう。


それ以上に印象的だったのは、会ったどのヨギも幸せそうだったことです。
私が持っていた様々な制約のもとで苦行を続けるヨギではなく、心からやりたい事を
やって満足そうに生きている多くのヨギを
見ながら先入観によって様々な学びから自分を
遠ざけていたようにおもいました
 
 
 
今回のリトリートではプラーナヤマ(呼吸法)の集中講習がありました。
担当した南インド出身のアナンダジは古典的なプラーナヤマを教える先生で、
ヴェーダに書かれている伝承を大切にする、エネルギーについての理解が深い人でした。

リシケシからウッタルカシに移動した時、ウッタルカシのガンジス河に女性性を
感じないことに気付きました。リシケシ、ラムジューラで見るガンジス河は
いつも優しい、母性を感じさせる河です。
リシケシからバスで9時間ほど上流に昇ったウッタルカシでは
どちらかというと男性的な、すこし荒々しいガンジス河の光景が
広がっていました。漠然とこの場所は流れが速いからそう感じるのかな、と
考えていましたが、数日後、ガンゴトリに着くと、今度はまた、リシケシと同じ、
母性を感じさせるガンジス河が広がっていました。
ガンゴトリもウッタルカシと同じように早い流れで、また大きな滝もあり、
ごうごうと音をたてて流れています。
それでも何故か、とても女性的なのです。

アナンダジにこのことについて聞いてみたところ、ガンガはそもそも母性を
象徴する河だが、リシケシとガンゴトリでは女性性を祀っている寺院の
エネルギーが強く、ウッタルカシの、とくにシバナンダ・アシュラムの
近くには男性性を象徴するシバ寺院があること、また厳しい修業をする
サドゥーが多く滞在するウッタルカシはどうしても男性的なエネルギーが
強くなるのだろう、と説明してくれました。

儀式などについても詳しいアナンダジが言っていたことで特に
印象的だったのは、
「家にある神の石像などはただの石に過ぎない。でもそれに花を供え、
お香をたき、祈ることで自分のプラーナを注ぎ込み、磁場の高い場所にする。」
と言ったことでした。



ガンゴトリはとても磁場の高い場所だと思います。
ガンジス河だけでなく、空、木、山、雲など自然な存在一つ一つが、
生き生きと存在してきれいに映る場所です。

一つ一つがとても美しく、どこに目を向けるか迷ってしまうような場所。
だから一つ一つのものに感謝することができる。

そしてガンジスの溢れ出すような流れを見ていると、「惜しみなく与える」という
母性の表現が同期化されます。
そしてこの寒さがある程度の緊張感を与えてくれて、悟りを得たい人に
充実した時間を提供するのでしょう。
 
ガンゴトリは寒く、ホテルもお湯が出ないのでお風呂にも
入れませんでした。
グループの中には60歳代でインドが初めて、という参加者も
いたので、このような環境に対応できることに感心しました。
アニヤはガンガがすっかり気に入って石を川に投げたり
楽しそうでした。ツアーに人達にもすっかり慣れて遊んでもらい
日本にいた時よりすっかり落ち着いていました。
 
それからウッタルカシ、リシケシへと移動し、リシケシのシバナンダアシュラムに数日間
滞在しました。
ツアーの参加者と別れ、数日リシケシでのんびりしてからデリー経由で
チェンナイに飛び、オーロ村に行くことになりました。

アシュラムからゲストハウスに移ってから2日目、ラクスマンジュラのカンガが見下ろせる
レストランで朝食を済ませ、
のんびりホテルに向かって歩いていると4年前にヨガのクラスで
一緒だったイギリス人にばったり!で、カフェに入ってお茶しているとお腹がごろごろいってきました。
 
まずい・・・と思ってさよならをしてホテルに駆け込むと、それから3日間、そのまま部屋で
寝込むことになりました。
朝食に食べたサンドウィッチのチーズが悪かったらしく・・・
とにかくすごい痛みで起き上がることも出来ません。
夜もうつらうつら・・いつのまにか朝になり、アニヤに日本から持ってきた非常食を食べさせ、
外に出たがるのをなんとかなだめ、
パソコンに彼女の好きなDVDを入れて横になる・・
というのを
繰り返しました。
 
出発前はアニヤが病気になったら、とういうことばかり考えていて、まさか自分が体調を
崩すとは思いもしなかったけど、実際のところ子供のほうがよっぽど順応です。

ベッドでうんうん唸りながらこのまま入院したらアニヤはどうなるだろうか
誰が面倒を見てくれるのか、などとあれこれ考えていました。
こういうリスクも含めて、あまり子供のうちは旅行に連れまわさないという
常識があるのだということに初めて気づかされました。
そんなこと、いまさら言ってもしかたないか、と気を取り直し、レイが
よく言っている細胞コミュニケーションというのをやってみる気になりました。
 
胃の細胞に対して聞いて見ました。
こんな時にそんなに痛まなくてもいいと思うけど・・・
アニヤもいるし、明日はデリーに行かないと行けないし。
何が問題でそんなに痛みを出しているのでしょうか?」
 
すると、その痛みを通して、
「食べすぎ。ウイルスの摂取量も許容範囲を超えている。
常に酷使されてきましたが、今回はもう対応できない、
機能を保てない。気持ちの向くままでなく、身体のことを考えながら
食事をすべきだ。」
という答え(気持ち)が本当に返ってきました。
旅に出ると気持ちも解放されるし、色々な味を試したくなるから
つい食べ過ぎてしまう。
でもそれが身体にかなり負担をかけたんだな、と反省しました。
 
次の日の朝、重い身体を引きずって何とか電車に乗り、デリーへ向かい、駅に
着くと待っていてくれるはずの知人がいません。。
仕方なくポーターを頼み、駅の外にでると案の定、人相の悪いおじさんたちがうようよ
近づいてきます。
どこに行くんだ?タクシーか?ホテルか?とか。
友達が来るのよ!とピシャっと跳ね除け、公衆電話を探して連絡してみると
都合が悪くなったということで、自分で宿を取らないといけなくなりました。
 
電話を切って顔を上げると私の荷物を持ったポーターと知らないおじさんがタクシーを
前ににやにやしてこっちを見ています。そこから荷物を運ぶ
気力はとてもないので
仕方なく、前に行ったことのあるデリーのゲストハウスの名前を伝えると、
「予約なしだと泊まれないから、まず旅行会社にいって
聞いてみよう。」という答え。
そうやって知り合いの旅行会社に行き、他の電話番号にかけて
そのホテルはつぶれたとか満室だ、と言って法外な値段のホテルに
連れて行くというのが通常のパターンなのです。
 
3日間食べていないので、その場でけんかする力もなく、いいからそのゲストハウスに
連れて行って!と言うと「わかった。150ルピー。」というので
そのタクシーに乗り込むと、
逃げ場のなくなった私に運転手が
「予約なしのゲストハウスには行けない。
旅行会社に行く。」
と言ってきました。
この体調が悪い時に(しかもアニヤを連れて)、まずい状況になったなーと思った時に、
運転手が携帯電話で誰かと
話始めました。
スワミジがデリーにしばらく滞在する、と言ったのを思い出し、「ちょっと貸して!
友達に連絡するから。」とその携帯をひったくり
スワミジの携帯に連絡。
インド人の知り合いがいて、携帯番号も知らせてしまえばそんな悪いことはできないはず。
 
ラッキーなことにスワミジが電話に出てくれて、運転しながら後ろの席に手が伸ばせない
運転手をしり目に状況を説明するとすぐ私の所に来なさい、と言ってくれました
運転手はしぶしぶ了解、
ということでめでたし、めでたし。
スワミジが来た時と同じ、マザーテンプルのゲストハウスを取ってくれて、2日間、
そこでゆっくり休養することになりました。

その日、何か口にしなくては、と思い、持っていた梅干を緑茶に入れて飲みました。
それがびっくりするほどおいしかった!
そして次の日には胃の痛みが取れてきました。
それまでの数日間、色々な薬を飲んでも全く効かなかったのに、
梅干が一番効果があったように思います。
 
そして少し軽い気持ちでオーロ村に向かうことになりました。
 
オーロ村については神戸のルイザが何度も話してくれて、彼女が家を建てたので1週間ほど
滞在することになりました。

オーロ村はインドの聖者オーロビンドのスピリチュアル・パートナーが
設立したスピリチュアルな成長を求める人が集まった国際村です。
砂漠のような土地を60年代から緑地に変え、今は木が青々とした、
素晴らしい空間になっています。

ヨーロッパを筆頭に世界中からザ・マザーと呼ばれるオーロビンドと
そのスピリチュアル・パートナーの思想に共感する人が集まっています。

いくつかのコミュニティから構成されていて、私が泊まったベリテという
コミュニティには幾つかのゲストハウスがあり、毎日瞑想やヨガ、
ワークショップが開かれていました。

ただ、世界中から集まってきた2000人もの人が同じ方向性を持つことは
難しいらしく、延期になるプロジェクトも多数あるようでした。
数年前に開始され、意見がまとまらず建設が途中で止まっている
老人ホームを目にしました。
経済的にも政治的にも色々と問題があるようですが、結局のところ、
「ここはマザーも言っていたとおり、天国ではない。一緒に学ぶところだ。」
という友人の言う通りなのでしょう。
理想が高いだけにそれを現実化するのも難しいのかもしれません。
これはある意味、スピリチュアルな自治区のようなものですが、
(もちろん、インド政府から支援を受けています。)
ひとつの町を作るのがどれだけ大変なのか、よくわかりました。
ここの目玉はマトリマンディル、(マザーテンプル)です。
黄金の大きなドームで、多くの人の想いが詰まった場所です。
大理石の瞑想室がありますが、私はアニヤと一緒には入れなかったので
外の広場で瞑想することになりました。
 
そこで瞑想をしながら、マザーに問いかけてみました。
「同じ理想を求めて集まった人々が何故争うのでしょうか?ここにいる人の中には
あなたが設定したオーロ村に住む為の規定に従っていない人もいます。
それでもいいのですか?」
幾つか規定がありますが、その一つは私的財産の放棄です。
 
「全て完璧で予定通りです。私は人間にとって一番難しいものを
規定として設定しました。それはここに住む為の前提ではなく、
それに向かっていくのがオーロ村での生活です。」
 
その答えと同時に、マザーの全ての人に対する深い愛を感じました。
 
 
これからレイの故郷であるケララにバスで向かいます。夜行バス。14時間。
無事に着きますようにと願いながら乗り込みました。

バスはスーパーデラックスと書いてあったけど、少し座席が広いくらいで
うたい文句のリクライニングは壊れて動かず、しかも窓も閉まらなくて
一晩中、風にさらされることになりました。
14時間・・・が実際には16時間かかってやっとケララの町、マヒに到着。
そこではレイの妹夫婦が待っていてくれました。


レイの家族はケララからバンガロールに移ったけど、他の多くの親戚は
まだここに残って昔ながらの生活を続けています。
キャリアウーマンのレイの妹は残った親戚にバンガロールに移れば教育の質も高いし、
たくさんの機会があると何度も説得したけど聞いてくれなかった、と言っていました。
この辺は、開発は進んでいるけど、まだのんびりしたインドの田舎の町。

バンガロールとは時間の流れが違います。教育やいい職につく機会が少なくても
ここに残る選択をしたことは理解できる気がします。


レイのお母さんの妹夫婦はシンガポールに長年住んでいて、今はケララで退職生活を
送っています。ナラというそのおじさんは何と第2次世界大戦時、日本がシンガポールを
占領したときに学生で、日本軍に従事したそうです。

それなら日本に反感をもっているのかな、と思いきや、
「日本の占領が始まって、イギリス軍がいなくなってからシンガポールの治安が
すごく良くなった。イギリス人はインド人には挨拶などしなかったが、日本の軍人は
いつもおはようございますといってお辞儀をしてくれた。
しかも日本語や機械、エンジニアリングのことなど、日本は占領下の市民に対して
いろいろな教育をしてくれた。自分の人生にとって貴重な時間だった。」と言っていました。
いろいろな捉え方があるのね、と感心しました。
 
ケララはココナッツやトロピカルフルーツの溢れるのんびりしていてとても
いい町です。ただ、蚊には悩まされました。

親戚への挨拶周りを終えて、最終地点のバンガロールへ向かいました。
数日間、レイのもう一人の妹家族の家でのんびり過ごしました。
出発の前日、帰りの飛行機で読むアニヤの本を買うために
本屋さんに連れて行ってもらいました。
 
子供の本は2階なのに、受付のおじさんがエレベーターの
3階を押して2階は開かないから3階に行ってから階段で
下りなさい、と言って閉めました。
だったら2階まで歩いて上がったのにね、と言いながら
3階で降りると、目の前にパラマハンサ・ヨガナンダの
「あるヨギの自叙伝」が並んでいました。
いつか読もうと思って、でも分厚いから手の出なかった本ですが、
すぐに「読む時なんだな」と思い、買っていました。
 
帰って最初の数ページを読んでみると、自分の師、グルを見つける
ために必死になっているヨガナンダの経験が書かれています。
私は自分は自分でありたいことから絶対的に誰かに従うということを
避けてきたので、グルという言葉が好きではありませんでした。
でもガンゴトリで素晴らしいヨギに会う中で、自分の師を見つけて
従うことも自分を成長させる一つの方法であることを完全に受け入れる
ようになっていました。
 
もしこの本をあの旅を経験する前に手にしていたら、グルを探すという
言葉を見ただけで閉じていたことでしょう。
この旅の締めくくりに、素敵なギフトを受け取ったように思いました。
 
 
正直なところ、途中で何度か帰りたくなりました。
キレイで乾いたお布団や温かいお風呂、日本食など。。
昔はそれほど重要でなかったものが、どんどん存在感を増していました。
 
持っているものを再確認する意味でも、旅はいいものです。
 
帰ってくるとレイがとてもきれいにセンタリングが出来ているように感じました。
この一ヶ月、誰にも邪魔されずにゆっくり瞑想することが出来て、
彼にとっても充実した時間だったようです。
 
今度は出来たらレイも一緒に、この素晴らしい経験をシェアしたいと思います。

ちなみにラムジは毎年5月に来日し講話会を行なっています。
ヨガ哲学に触れてみたい方には是非お薦めです!
 
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